津軽焼ライター 津輕 焼次郎ブログ

津軽焼にまつわる全ての人のハナシっコ

2018-05-01から1ヶ月間の記事一覧

『手仕事は命懸け』

畑野さんのサロン(工房)にお邪魔するのは今回で2回目。 小川原湖を見下ろすとても良い場所に窯はある。 前回は2月の下旬に訪ねたのだが、 雪の白と空の青にキラキラと反射した小川原湖の水面は、とても幻想的だった。 畑野さん曰く 『春は桜のトンネルがとて…

10日ぶりでゴメンなさい

皆様、 前回の投稿から10日も過ぎてしまい 『あー、やっぱりアイツは三日坊主か〜!』 とか、 『やっぱblogなんてムリムリムリ〜♪』 とか、 いろいろ憶測があったかも知れません…笑 実は地元弘前に帰っておりまして、この度たんまりとネタを集めておりました…

信政と悪戸焼 〜信政が遺したもの〜

(前回までのあらすじ) 昔の世界からの使徒であるこの可愛らしい少年は 幼少期の津軽信政公であった! なんとも賢く、礼儀のキチッとしたこの子が興味を示した茶碗… 果たして…!! 信政 (以下.政) 『これは悪戸焼で間違いないよ!後にオラが江戸から呼び寄せ…

謎の少年 〜信政が遺したもの〜

今週は強烈な偉人の御二方にお話が聞けてとても充実しているのですが、なんだかグッと疲れたのは気のせいでしょうか…笑 瓦師、理右衛門さんからの音沙汰はありません。笑 祖父である信枚さんはいつの間にかあの世 に戻られたようですし…。 まぁ、ゆるりと四…

落雷がなければ青森県高岡市だった?!

いやー、コテコテの関西人だったね、理右衛門さん…。 圧倒されちゃいました。 さてさて、理右衛門のおっさんから全く連絡がこないので、今のうちに弘前市についてもお話ししたいなと思ってる次第なんですが… 『オメだぢ、ワっとば忘れればまねや!!』 また…

大阪からの使者

さて、少し話題を変えて津軽焼の発祥について書こうかな。 正直、津軽焼は衰退し、今の若い人達の認知度はほぼ皆無と言ってもイイと思います。現に私が津軽焼の存在を知ったのも2017年、つまり去年です。 弘前市民に聞きました。 『弘前』と言えば? 『さぐ…

蒔苗忠次郎 〜その参〜

蒔苗忠次郎さんの作品を知ったきっかけは バッチャの影響だという事は皆さんも周知の通りであろう。 バッチャは津軽塗(津軽焼ではなく津軽塗!!)の名家の生まれで、 やはり幼い頃から感度が高い生活を送っていたようだ。 のほほんとした性格で、活動的で、…

蒔苗忠次郎 〜その弐〜

うちのバッチャの話をしすぎましたが、 そもそもなぜうちのバッチャはたくさん蒔苗さんの作品を所蔵していたのか。 祖母がまだハタチくらいだった頃、県職員として弘前市の工業試験所に入社。 りんご課とかいう所に配属され、 すぐ隣の部署が窯業課、つまり…

蒔苗忠次郎 〜その壱〜

蒔苗忠次郎 初めて聞く名前だが、弘前には蒔苗という名字は確かに存在するし、地名もある。 ちなみに知恵袋センセイではこうだ https://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q1359164078 なるほど。 『まかナイさん』も正解なのね。 さて、件の蒔苗忠次郎さん。…

むっちゃんのハナシ

『それ蒔苗忠次郎ってス人の珈琲茶碗ダョ!』 僕は帰省すると母方の祖父母の家に帰る。 (カメラを向けると照れて逃げる祖母) あれは2017年の夏。 『バッチャさメェ珈琲っコ飲ませるがな〜』 と張り切った僕。 まずはコーヒーを注ぐカップが重要だという話に…