落雷がなければ青森県高岡市だった?!
いやー、コテコテの関西人だったね、理右衛門さん…。
圧倒されちゃいました。
さてさて、理右衛門のおっさんから全く連絡がこないので、今のうちに弘前市についてもお話ししたいなと思ってる次第なんですが…
『オメだぢ、ワっとば忘れればまねや!!』
また天の声が!!
今度はかなり訛っていますね〜!
誰ですかね?!笑
西北五地区のオヤンズ(オヤンズ=津軽弁でおっちゃん)でしょうか?
『なにホンズね事喋っちゃズャ!ふったすけでマラァ!』
※ふったすける=津軽弁で 叩く・殴るの意味
あ!!これはもしや…二代目藩主信枚公ではありませんか!!!失礼しました!
焼.
『これはこれは大変失礼致しました!ちょうどさっきまで信枚公のお話をさせて頂いてました!』
信枚 (以下.枚)
『オメ、ワゲモノだのに年寄りさ興味あるみてだな!理右衛門がら聞いだネ!珍しワゲモノだな!』
焼.
『いえいえ、まだ全然自慢できる程知識もないんですが…。ところで信枚さんは私達の故郷である弘前市を作った人なんですよね!スゴイっすマジで!』
枚.
『ンだ!!ワのオヤジ(為信)ばし、ふゅーちゃーされるばってよ!ンデねんだ!ワ、たげ働いだネ!まさに身を粉にして働いだジャ!オメだげだ!そスて喋ってけるの!オメいいやづだ!ながながのワゲモノだ!オメだばこの弘前っとば…』
焼.
『ちょ、ちょっと信枚さん!!!!あとでちゃんとハナシ聞きますのでとりあえず弘前の事について教えてもらえますか?笑』
枚.
『ヤメグ!!ワ、ついつい喋ってまるズャ!ンダ!弘前の事聞きてんだべ?しかへらァ〜!なんでも聞がなガ!』
※めやぐ=すまない、すまん
※しかへる=教える
焼.
『宜しくお願いします!あの〜、聞いた話では弘前は昔、高岡だったと聞きましたが』
枚.
『ンダ!昔は高岡藩だったんだネナ!んだばってョ!雷落ぢで城全部焼げでまってャ、この雷、もしかセばワの母親(為信の正室=阿保良)の姉の祟りでネが!って師匠の天海のジサマどハナシたんだネナ!天海のジサマの事知りてんだバ、ウィキペデア見ろ!』
(この人が天海さん。明智光秀という噂も…)
焼.
『それで、天海さんと話してどうなったんですか?』
枚.
『天海のジサマゃ、高岡だば縁起良ぐネ〜ハンデ、弘前さすべし!って言ったんだ。ワも、んだ!そっちの方が今風でねが!ってなってや!弘前さしたんだ!』
焼.
『うわー!!!!それじゃ、その時雷落ちてお城が焼失していなければ…高岡市になっていた可能性もあるんですね!!』
枚.
『どんだ?オメだぢだば、弘前の方がいいがぁ?高岡のほうがオシャレだが?』
焼.
『私たちはやっぱり弘前っていう名前が好きですね〜!!響もいいし、インパクトもあるし、弘前大好きっすよー!』
枚.
『ちなみにヤ、青森も作ったのワだんだ!!』
焼.
『ええええー!!!信枚さん!めっちゃ凄い!!ただの訛ってるジサマでねがったんですね〜!』
枚.
『バガこの!笑 あどョ、ワの嫁っコ、家康の養女だんだ!!あどョ、オナゴ(側室)は石田三成の娘だんだ〜!いいべ〜!あどョ……』
このあと信枚のオヤジと一緒に鍛治町で飲む事にしました…。
鍛治町でもボトル開けまくってかなりの人気者でした。笑
(女の子達はおそらく凄い人だとは気付いてなかったはず…)
いやー、信枚さんっ!
強烈でしたね!!!
でもこの人は本当に凄い人ですね〜!
実は焼けた天守閣、五層の大天守閣を1年2ヶ月というスピードで構築させたらしいですよ!
蝦夷や江戸との交易ルートを整備したのもこの人ですから功績は素晴らしいものがあります。
あっ!!!
肝心の津軽焼の事聞いてない!!
(また今度聞く事にしましょ…)
(次回いよいよ登場?!四代目 津軽信政!!)