津軽焼ライター 津輕 焼次郎ブログ

津軽焼にまつわる全ての人のハナシっコ

蒔苗忠次郎 〜その参〜

蒔苗忠次郎さんの作品を知ったきっかけは

バッチャの影響だという事は皆さんも周知の通りであろう。

バッチャは津軽塗(津軽焼ではなく津軽塗!!)の名家の生まれで、

やはり幼い頃から感度が高い生活を送っていたようだ。

のほほんとした性格で、活動的で、我慢強い。

82?83?歳なのにほぼ毎日友達と遊んだりコーラス教室行ったり、体操教室行ったりしてる、そんな人なのだ。

当然友達も多いわけで、物をあげたり、もらったり、あげたり…もらったり……している。

(私の友達にも何かあげたりしている)

 

バッチャに、

『他に蒔苗さんの作品持ってる人いねが?』

と聞いたところ、

 

『栄町のおかあさんサ、なんぼガあげだんだよのォ〜』

『八戸の兄の所さも5っつばしあげだなぁ』

『あれ!!玲子(玲子とは私の母親だ)の小学校の担任、蒔苗忠次郎の弟だのよ〜』

『あったにいっぱい蒔苗さんの皿だのあったのに、投げでまったんたなぁ〜』

※投げる=津軽弁で〔捨てる〕の意味

 

やはりほとんど投げでまったみたいだ。

(しつこいようだが津軽弁で 捨てる の意味)

 

ともあれバッチャの親友である栄町のおかあさんから随分と立派なカップ&ソーサーを頂いた。

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畑野さんの所にあった蒔苗忠次郎さんの作品と、釉薬は違うが後はほぼ同じでこれは晩年の作品らしい。

晩年の作品はやや厚みがあり、少しぽってりとしている。

 

前回紹介した灰釉(自然釉)のカップは薄く、低温で焼かれたものと見られ、衝撃に弱い。

何度も言うが、これはバッチャが蒔苗忠次郎さん本人から直接頂いた、初期の作品だ。

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(うーむ、いつ見ても素晴らしい!!)

 

バッチャ所蔵の蒔苗忠次郎さんの作品は今後小出しにして行こうと思うので、こうご期待ください。

蒔苗忠次郎 〜その弐〜

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うちのバッチャの話をしすぎましたが、

そもそもなぜうちのバッチャはたくさん蒔苗さんの作品を所蔵していたのか。

 

祖母がまだハタチくらいだった頃、県職員として弘前市の工業試験所に入社。

りんご課とかいう所に配属され、

すぐ隣の部署が窯業課、つまり津軽焼を再興させようという課だったらしい。

 

当時、弘前第二中学校近くに工業試験所はあり(私が二中在学中の頃もまだありました)そこに大きな登り窯があったそうです。

 

工業試験所でのエピソードも多々あるので、その話はまた工業試験所編でお話しする事にしよう。

 

蒔苗忠次郎さんはどんな人だったのか。

(ここにきてやっと本題らしい本題!)

 

バッチャ曰く、

『割と年取る前に亡ぐなったんだ』

『良い人だけど、酒飲みでサァ〜』

と。

 

唯一のお弟子さんである畑野謙一さんもおっしゃっていたが

『67〜8歳くらいで亡ぐなったんでネがなぁ〜』

『厳しい人だった!酒もよぐ飲む人だったナ!』

と、畑野さん。

とにかくお酒が好きで、畑野さんもよくお酒に付き合わされたそうだ。

 

どうやら酒飲みという点は有名らしい。

(畑野謙一さんについてもまた改めて!)

 

対照的にうちのバッチャは結構可愛がられたそうで、

『むっちゃん!むっちゃん!』

といつも声を掛けられ(バッチャの名前は"むつ"さん)

窯から出したB品の陶器やらお皿やら貰ってたんだって。

『優しい人だったよ〜!ニコニコニコニコして!』

とバッチャは言う。

 

弘前市立図書館にある

美を求める道 〜成田道夫遺稿〜

でも、

開雲堂主人が色々と説明し、蒔苗氏はすみのほうでニコニコしていた

と記されている。

 

バッチャはもしかしたら、そんな蒔苗さんの事を好きだったのかもなぁ…なんて考えながら、

今日も蒔苗さんのカップでコーヒーを飲む。

 

蒔苗忠次郎 〜その壱〜

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蒔苗忠次郎 

初めて聞く名前だが、弘前には蒔苗という名字は確かに存在するし、地名もある。

ちなみに知恵袋センセイではこうだ

https://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q1359164078

なるほど。

『まかナイさん』も正解なのね。

 

さて、件の蒔苗忠次郎さん。

その昔、弘前の工業試験所で

蒔苗さんと一緒に働いていた祖母 (以下バッチャと呼ばせてもらう) に、

どんな人だったか聞いてみた。

 

いやいや、その前にこの灰釉(リンゴ灰釉)のカップについてだ!

 

なんとも素朴で、暖かみがあり、見ていて飽きがこない。

釉溜りがなんとも良い味を出しているではないか。

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また追って説明するがこれは蒔苗忠次郎氏の初期の作品との事。

 

うむ。

より興味深い。

 

バッチャ曰く、あと五客、計六客あったそうだ!

 

 

 

なんとバッチャは

『バッチャどジッチャ死んだあど、ゴミさなるハンデ捨てダ!!』

だど!!!

 

バッチャは断捨離が得意中の得意なので致し方無いというか合点が行くと言うか…。

なんともやるせない気持ちになったのは確かだ。

 

あれ?

蒔苗さんの事を書くつもりが、バッチャの事をツラツラと書いてしまっている!

まだまだ続くので続きは明日という事で…(汗)

 

むっちゃんのハナシ

『それ蒔苗忠次郎ってス人の珈琲茶碗ダョ!』

 

僕は帰省すると母方の祖父母の家に帰る。


(カメラを向けると照れて逃げる祖母)

 

あれは2017年の夏。

 

『バッチャさメェ珈琲っコ飲ませるがな〜』

と張り切った僕。

まずはコーヒーを注ぐカップが重要だという話になり、

僕が生まれた頃から既にそこにあった戸棚の中を物色した。

 

(昔っから見たことのある湯呑み)

(スプーンとピンセットが一体型になった祖父のアイテム)

(技工士だった祖父が過去に作った、さんま師匠も驚く程の出っ歯型入れ歯)

(祖母の骨粗鬆症のお薬と、そのお薬手帳)

(なんだか無駄にモダンなグラス)

(茶封筒)

 

ろくなものが無いなと毎度思うこの戸棚(食器棚兼用)

 

僕『あれ?バッチャ!このカップなに!』

婆『あれぇ!珍しじゃ!ンだ、これちょんど良い!』

 

取り出したそれは凛としてして、自慢気な色合いをしていた。

とても今の今まで眠っていたものとは思えない

そんな陶器だった。

 

〈蒔苗忠次郎 編へ続く〉